「情けは人のためならず」の世界観
先週のNHK連続テレビ小説「マッサン」のテーマでもあった
『情けは人のためにならず』
マッサンの妻エリーが風邪で倒れると、
ご近所のおいちゃんおばちゃんが皆エリーを心配して集まり
ぼたん鍋作ったり、氷枕してやったりとあれこれ面倒をみます。
それを見たマッサンが、エリーはこれほどご近所さんに愛されていたのか・・
と、あらためて気づき愕然とします。
助け合い精神のある昔のよき日本でもあるけど、
エリーがこれまで、ご近所の面々にいろいろとやってきたから
返ってきたんですよね。
情けは人のためでなく、いつか巡って自分に返ってくる。
あまり良い意味にとられなかったり、
情けが仇になる、など良くない意味に誤解されたりと
いわくのあることわざでありますが。。
その精神が行動規範となっているのが、
国民の約9割が仏教徒(※)のミャンマー。
ひとに親切にすることで、自分の徳を積む。
ただし、すぐの見返りを求めているわけではなく
この世に戻ってこないため。
次元の高い仏さまの世にいくため、なのだそうです。
ミャンマーで信仰されているのは、
日本や中国などの「大乗仏教」ではなく「上座部仏教」。
日本の仏教と同じところもあれば、かなり違うところも多々あります。
こうした輪廻転生を強く信じているところも
違う点のひとつでしょうね。
仏さまの作りも日本とはだいぶ違います。美川憲一似の仏像や、電飾をしょった仏さまも‥。
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ミャンマーでは、子ども~学生時代に何回か出家するそうです。
出家といっても期間などは自由に決められるので、
たいがいの親は子どもに、学校が休みの間に出家させます。
僧侶の地位は高く、国民に尊敬されているため
子どもがお坊さんになるのを望む親御さんも多いそう。
が、親のいうことを聞かない子どもが多いのは、どこの国でも同じようです。
ヤンゴンでも街中を歩いていると、お坊さんはフツーにゾロゾロいます。
大人の男性僧侶はもちろん、少年の僧侶、尼さん、少女の尼さんも日常風景。
お坊さんはエンジの袈裟をまとい、
暑い日は片方の肩を出し、肌寒い日は両肩を覆っていて
尼さんは赤のロンジー風にピンクの袈裟、オレンジのストール(?)をまとっています。
団地などには毎朝晩、僧侶の列が托鉢に来るのも
あたりまえのこととして営まれているんですね。
街中を歩くお坊さん。横断するため車の途切れ待ちです。
ボーヂョーアウンサンマーケットで托鉢中の尼さんたち。少女尼さんの姿も。
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ミャンマーで驚いたことのひとつといえば、
スーパーマーケットや食料品、日用品などを売っているお店に
お供え用の籠がフツーに売られていたこと。
お供え用の籠っていうのは、
日本だったらお葬式や法事などで、親せきや近しい友人などが故人に供える
缶詰や瓶詰などがいっぱい入って黒リボンなどで飾られた、あれ。
その、名札が入っていなくて黒リボンの替わりに金のピラピラがついた、みたいな籠です。
そこかしこにパヤーやお寺があるミャンマーでは
フツーお参りに行くときに、
お店で買って持っていくようです。
仏さまに供える籠なんて、日本ではお葬式でしか見ないもんなあ。
それがフツーにスーパーやお店で売られているのは、新鮮でした。
さずが仏教国!
仏教という根っこは日本と同じではあるけれど、
ヤンゴンの空の下では、
違った風景が広がっていました。
※国際日本データランキング「仏教徒、人口に占める割合」ランキングより